やっている最中に多少辛いことはあっても、ゲームといえば基本的には楽しいものです。だから子供はゲームにハマります。
ところが、そのゲームの楽しさがほぼ無く、プレイすることが苦痛になってくるゲームがこの世には存在します。
というわけで今回は、知っている方は知っている有名作品、「ゲームを嫌いにできるゲーム」と言えなくもない『マインドシーカー』を紹介しつつ、なぜ嫌いにできるのかを書いていこうと思います。
※先に断っておきますが、私自身はゲームとは子供の教育に良いツールだと認識しています。その立場の私だからこそゲームを嫌いにする方法を書けるとも思っています。
ゲームはなぜ楽しいのか?
いきなり脱線するところからスタートしますが、ゲームが好きな子供はなぜゲームにハマるのか、何が楽しいのかを考えていきましょう。ざっくりと3つくらい挙げてみましょうか。
ゲームを自分からプレイしている。
まずここからですね。遊びでゲームをプレイするとき、必ず自分からプレイしようと思ってプレイします。誰かに強制されるわけでもなく、スケジュール管理されているわけでもありません。
プロゲーマーやプロゲーマー候補なら話は別ですが、それは仕事です。
趣味だからこそ全力でやるわけです。
遊びに対して「仕事じゃないんだから本気でやれよ」と言った有名人も居ますからね。
何かを達成すると、何かを得られる。
RPGなら敵を倒せば経験値やお金が手に入ってキャラクターが強くなり、どこかの誰かを救えば見返りがありシナリオが進みます。
対戦ゲームならランクが上がったり報酬で新たな装備やアバターが購入できます。
リズムゲームならスコアが表示され、その評価が上がれば達成感を得られます。
言ってしまえば「成功体験を生み続ける機械」みたいなものですね。
成功体験から達成感と自己肯定感が生まれ、次の目標へと向かっていく。その繰り返しを楽しむわけです。
失敗をして、考えて、成功する経験ができる
昔と違い、今は何かひとつでも大きな失敗をすればSNSやトレンドブログで騒がれ、一生インターネット上に名前が残る時代です。子供は気にしていなくても、周りの大人は気にしてしまってやる前から「失敗するかもしれないこと」を避ける選択をしがち。
そんな時代で自由に失敗をして、自分で考えて、あれこれ試行錯誤できるのがゲームの世界です。(もちろん相手がいるオンラインゲームは多少配慮が必要です)
ゲームをやっていたら行き詰まって、寝ている間もずっと対策を考えて、学校から帰ってきたらずっと考えていた方法を試す。そして成功する。この達成感は日常生活ではなかなか味わえません。
ゲームの楽しさを排除するにはどうすれば良いか
さきほど挙げた3つがゲームの楽しさにつながっているとするなら、その逆を考えてみましょう。
- スケジュール管理される
- 何かを達成しても、何も得られない
- 試行錯誤を楽しめない
この辺りでしょうか。確かに想像するだけで楽しくなさそうです。
というか、これは現実世界の仕事のことでは……?
という冗談は置いておいて、ついに本題に入ります。
ゲームの枠を凌駕する伝説のゲーム『マインドシーカー』
まずゲームの概要を説明しましょう。
任天堂のファミコンことファミリーコンピューターのゲームです。だいぶ昔ですね。内容は
超能力の訓練をするゲームです。
超能力者を開発するプログラムを受けている主人公を操作して、ミニゲームをクリアすることで超能力を身に着けていくといったコンセプト。
スピリチュアルな感じがしますが、実際スピリチュアルです。(監修の方は後に葉っぱ吸っていて捕まっていますし)
で、肝心のゲームの内容ですが、すべてが運です。
ゲーム内容は「予知」や「透視」、「念力」のようにいくつかのミニゲームがあるのですが、やっていることはすべてただの運で決まります。
ボタンを押したら成否が判定されるので規定回数成功すればクリアというミニゲーム、裏返されたカードの絵柄を5種類の中から選んで当てるミニゲーム、そんな感じのミニゲームしかありません。
そんな感じのゲームです。最初から最後まで、そんな感じのゲームです。
『マインドシーカー』のすごさ。
順不同にはなりますが、さきほど挙げた3つの条件と照らし合わせて見ていきましょう。
このゲームと呼んで良いのかわからないゲームを。
試行錯誤を許さないゲーム
さきほど述べたように、このゲームはすべてが運です。
つまり、なんの試行錯誤もできません。なんの合図もなくボタンを押したタイミングで成否が判定されるミニゲームのどこに試行錯誤の余地があるのでしょうか。(本当に超能力を身に着けられれば別ですが)
なんの試行錯誤もできず、ただプレイを繰り返し、成功したらクリアするだけです。
これで達成感が得られるでしょうか?
得られるのは「同じ作業の繰り返しが終わる」という開放感だけです。それはそれで求めるひとが居るかもしれませんが。まるで仕事……。
達成して得られるものは、新たな地獄
ゲームの楽しさと言えば、何かを達成すれば何かを得られるということですよね。
このゲーム、ミニゲームをクリアしてもご褒美が何もありません。強いて言えばランクが上がるくらい。ですが恩恵は何もなし。
さらにこのゲームで何らかの課題(ミニゲーム)をクリアすると、なんと課題の難易度が上がります。
普通のゲームなら新しい要素が追加されたりするところですが、この『マインドシーカー』ではミニゲームに変化があるわけではありません。ただ成功率のノルマが上がるだけです。やることは全く同じ。
課題をクリアすると、ノルマが増えただけの全く同じ課題を叩きつけられるわけですね。まるで仕事……。
ゲーム内でのスケジュール管理
実際に現実世界でリアルタイムにスケジュール管理をされているわけではありませんが、ゲーム内ではきっちり管理されています。
そしてミニゲームをクリアしない限り絶対に先には進みません。と言っても、ストーリーは導入と最後以外ほぼなく、ひたすら課題をクリアして難易度の上がった課題をやらされるだけです。
クリアをし続けると最後の試練に挑む展開はありますが、それを知らない人にとっては「どれだけ課題をクリアしても何も変化なくただ課題が面倒になっていくだけ」としか感じられません。
特に変化もなく、ただノルマがキツくなっていく作業を延々とやらされるわけですね。まるで仕事……。
ゲームの楽しさを徹底的に排除したゲームを強制的にやらされたら?
というわけで、ここまで紹介してきた内容で『マインドシーカー』にゲームの楽しさを求めるのは酷だということがわかっていただけたと思います。
仮に、もしも、このゲームを与えられて「クリアするまで次のゲームはなし!」と言われたらどうでしょうか?
なんなら「今日はどこまで行けたか報告するように」とまで言われたら?
確かに最初はさっさと終わらせたくて頑張るかもしれませんし最初は物珍しさで遊ぶでしょう。しかし、ずっと同じ作業を続ける単調さ、クリアしても新たな地獄が与えられるシステム、そこに「終わらせないといけない」という義務感が加われば普通の子供なら耐えきれないでしょう。おそらく。
しかもクリア率はなんと0.35%(公称値)です。むしろクリアできた人間が居ることが奇跡。
まとめ:ゲームを嫌いにできるゲームはある。
ということで、私が大好きでたまに話題にしている伝説のファミコンゲーム『マインドシーカー』を強制的にやらせるスケジュールを組めば、ゲームを「楽しい遊び」から「苦痛な作業」に変えられますよ!というおはなしでした。
※本当にお子さんにやらせてしまった場合の責任は一切持てませんし、絶対にやらないほうが良いと思います。人格形成に大きな影響があるかもしれません。
参考までに、実際に初見プレイしたVtuberの方の動画を貼っておきます。人間がどうなるかをご覧ください。どちらも『マインドシーカー』を初めてプレイする方ですので新鮮な反応が見られます。
余談:乱数調整・状況再現について(読む必要はありません)
本文中では試行錯誤の余地はないと書きましたが、厳密には可能かもしれません。
完全な運とは言ってもそもそもコンピューターはサイコロを振れません。擬似的に再現しているだけです。
なんらかのデータ、例えば現在時刻の秒数やメモリ内のどこかに格納されている値を拾ってきて、その値から乱数を生成をするプログラムを通してランダムな数字を生み出しています。作品によってはプレイ中に消費する乱数を起動時にまとめて作っておくものもあります。
そのため、乱数生成しているプログラムを完全に解析した上でプレイ内容を完全に同じように再現ができるならば結果もまったく同じになり、すべての結果を自由自在に操ることができます。
実際にレトロゲームのRTA(いかに早くクリアできるかを競うもの)ではそれを利用している方が居ます。(「クロノトリガー RTA 状況再現」あたりで検索して出てくるもの解説もわかりやすくておすすめ)
というわけで、本当に努力すれば試行錯誤は可能かもしれませんが、ゲームとしての通常のプレイとはかけ離れた方向性からのアプローチのため本文中からは省かせていただきました。